子供のころからたびたび引っ越しを重ねたため、生まれ育った場所というものを持っていない。そんなものだから、子供のころの思い出は、ひと、出来事、場所がスナップショット的にはいっている。夢では、頻繁にそういった場所と人、出来事がごちゃまぜになって表れるから、さらに混乱するものである。でもいつもの間にか、移動型の生活になれてしまっているので、逆に定住することが億劫になっているのも事実である。(だいたい、今まで同じ家に、2年以上すんだことがないのではないか?多分、小学校ぐらいまではあるのだろうけど、中学校以来ないかもしれん・・。ソウルもきっかり二年だし、京都の町屋も二年。)
それなのに、どうも矛盾したもので、いつも戻る風景というものを欲しがりもしている。両親が研究者であるため、私と同じような移動型の生活をしているインド人の友人は、帰る場所欲しさに結婚する、といって数年前に結婚した。でも、やはりいまだ研究者の旦那さんと一緒に住むことはできていない。
自分の境遇がこんななのに、今朝がた「日本の里山がそうであるように、この地域の家庭畑は、ここに暮らす人々、離れてしまった人々にとって心象風景と重なっている~」(だから、単純に経済的な理由とか、生態系の均衡なんている「現金」な理由だけではなく、畑、農村の景観は大事なんだと続く)なんているくだりを博士論文なんていうけちなモノに書いているとき、ちょっと変な気がした。
で、そのあと、雨の隙間を狙って、また外に出て一時間ほど歩き、村でもやや奥にある友達の家に遊びに行った。土曜日はゆっくりしようかと思っていたのだけど、電話で呼び出しがあってしまったのである。(用事があるわけではない)この村を歩き回るようになってから、4年。川をわたり、田圃を越え、うっそうとした木々の中・・・それらは日本でつまらない人とあって、つまらない時間を過ごしているとなぞにトリップする風景となってきた。今日もまた、レヌグやシャイマが、なんとかして私がこれらか一生ここで暮らしていけないか、方法をねっている。彼女たちの住む家は先祖からの土地だからだめだけど、少し先の土地だったら、1エーカーぐらいなら用立てできるのでは、ないかなどと。このところ、尋ねるたびに、レヌグは、泣きながら私がずっとここに居座るように、行ってくる。私が日本でぶらぶらしていた時、驚くほどつらい時間を過ごしていたというのだ。あんなまっすぐな目で言われると戸惑ってしまう。なぜ、そういう風に思うのだろう?前回の調査期間中、かなりの時間をこの家で、土木工事やら農作業やらをやって過ごしたのは事実である。でも、とうてい想像もできない遠い国からきた、違うジャーティの人。私は、彼女に触れることも、家の中に入ることもできないのだし。日本に帰ったら、毎日酒を飲んで(これはここでも同じ)、変な屁理屈を並べた文章を書いたり、物欲に翻弄されたり、のりぴーの行く末を心配したり(ていうか、押尾学といい、のりぴーといい、どうしたんだあああ?!)そうやって、バカげだ感じで一生を終えていくのに。
どうも、酔いがすすみ、何を書きたいのか分からなくなってきたから、この辺でやめようかと思う。とにもかくにも、心象風景。これは大事だ。またケーララ文学にでも没頭しようかな。
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