2008年8月31日日曜日

20080830 アディヴァシと森と酒

今朝は、人権運動家の代表に聞き取りをした。最近、先住民という意味のアディヴァシの人々の暮らしをもっと知りたくなったのがきっかけである。クリチャヤスとは結構仲良くなって、大分内部事情に明るくなってきたが、村にいる他のアディヴァシの人々とはまだまだ友達というわけではない。前よりは、警戒心を解いてくれて、向こうから話してくることも増えたには増えた。

キリスト教徒からみるアディヴァシ像は、怠け者、不潔、アル中、教育を受けていない…などとネガティブなものばかり。現在多くの人が、土地なしの農業労働者だが、口コミだと、彼らはもとからBounded Laborという。もちろん、「もとから」などという情報を当てにしては、いけないのでいろいろ調べ始めたわけである。調査のテーマに直接的には関係ないかもしれないが、村のことは何でもかんでも知っておきたい。

今日会ったのは、アディバシの人々が法的手続きを必要とした時、支援などをする団体の代表だった。彼自身も弁護士だという。30分程度の話合いでわかったことは、やはり土地なし農業労働者というのも、歴史的に作られたものであることだ。(もちろん、彼の情報だけもまた、信用してはいけないが、こっちの方が理にかなった話に思える)狩猟収集民で、季節ごとに森を移り暮らしていたのが、ワヤナッド県にいるアディヴァシの人々。この生活圏が侵され始めた第一段階が、イギリスの植民地。開墾、プランテーションの始まりでもある。そして、やはりキリスト教徒移民の流入。これで、一気に森は減り、彼らの生活ががらりと変わってしまった。

というところまでは、前々からなんとなく知っていたが、ここに酒文化が関係しているというのが、初耳だった。ケーララは酒の取り締まりが厳しい。他州よりも高い関税が付けられ、販売網も政府の運営する酒店に限られている。多くのアディバシのコミュニティーでは、ハーブ、ココナッツ、米などから地酒を作っていて、儀礼には欠かせないものだった。しかし、地酒づくりも厳しく禁止されている。これにより、現金収入が必要になり、農業労働者にならざるを得なくなったという。それに、最近では、隣のカルナータカ州から日雇い労働者を集める業者がトラックで来るようだ。ケーララにほど近いカルナータカ州の一部には、ケーララの金持ちたちが、バナナや生姜プランテーションを経営している。ここに駆り出されているようだ。しかも、労働者を募集する際に、経営者が酒も特典につけるという(ちょっと、行ってみたい気もするが、ブラックマーケットなので危ないだろう。)これにのって行ってしまい、帰ってこなかったり、帰って来ても、プランテーションでさんざん農薬をあびたために、健康を害している人々が多いという。

もっと調べれば出てきそうだ。とにかく、一方の話だけを聞かずに、一つのことでもいろんな人から情報を集めなくてはならぬ、と、反省する。

2008年8月30日土曜日

20080829 バイオガス

今日は、せわしい一日だった。

一番の収穫は、バイオガスの仕組みがわかったこと。思っていたよりも随分簡単なメカニズムだった。そして、牛フンなんかよりも、人糞の方がどうやらキロあたりのガス放出量は多いことを知る。一キロあたり、牛フンは40ℓ。人糞は120ℓ。三倍も違う。でも、一日当たりの糞の量が違う。いい牛は、25キロも出すそうだ。人間は、せいぜい500グラムだろうか?いい人間はもっと出すのかもしれないが。とにかくその差50倍。人間一人が、調理に使うガス量は、300リットルぐらいだそうだ。こっちは、炊飯器なぞないから米の調理に一番ガスを使ってそうである。日本ならもっと少なそうである。1人が調理に使うガスを賄うには、5人分の威勢のいい排泄が必要となる計算だ。4人家族なら、20人分。これが、牛なら二頭で済んでしまう。アパチャンの家でも、バイオガスが使えないことなぞほとんどなかった。牛は大人で4頭。また牛フンだけではなく、生ゴミなぞも入れている。もともと牛を飼っていて、ガスを買わなくて済むなら、お得といえる。実にマナンタヴァディタリクの、30パーセント近い人が、バイオガスを使っているようだ。そんなことを聞いていたら、バイオガスが欲しくなってきたけど、広い庭と家畜が必要なので、数年は無理そうだ。

2008年8月28日木曜日

20080828 酒盛り

やっぱり酒盛りは一人より、人がいる方が楽しい。日本人は、なんだか変に人との距離を取るひとがいたりして、多人数になるとたいていおもしろくない、というのが通説になってきていた。気の合う人と少人数で、もしくは2人、一番は1人、、というのが最近の傾向。でも農民たちは事情が違う。神戸の農家で酒盛りしたときもそう感じたが、土に近いところで生活している人は(海でもいいけど・・)、気楽だ。

今日は夕方、馴染みのクリチャヤスの家族のところに、ブランデーを一瓶持参した。かねてから、飲もう、飲もう、と約束していたのがここまで延ばし延ばしにってしまっていたのだ。家の長である、コーピはいず、代わりにその息子のサヌと親戚のサジと酒盛り開始。相変わらず、みんな一気で飲んでしまう。が、楽しい。女性は飲まずにまわりで、見ているだけだが、それでも嫌な感じではなく、一緒に楽しんでいるようだ。そのうち、サヌがココナッツを取ってきて、ココナッツの汁と混ぜて飲む。これも、なかなかうまい!早々に酔っ払ったサジは、私の自転車を借りて、つまみを買いに走る。徐々に人が集まってきて、わいわいがやがやだ。

農作業は、案の定田植えが完了。ここの田圃だけでなく、親戚たちの田圃も無事終わったらしい。後は、オーナム祭まで作業はなし。二週間近くの休暇だ。といっても、男性たちはパンチャヤートの雇用保証制度の作業に行くようだ。みんな登録しているようで、結構な現金収入になるだろう。オーナムの時はいろいろお金もかかるので、いいタイミングである。

今日は、少し飲み過ぎた。村からの帰り道は、ふらふらになりながら、自転車をこぐ。いつになく楽しくなって、横切る人みんなに話しかけてしまった。

20080827 

結局昨日は、7時過ぎに村に着いた。バスの運転手が妙にスピード狂で、いつもは4時間以上かかる道を3時間半ほどでやってきた。

さて、あんなに暑くて、少し歩いてはBARの看板を探し、ビールを飲んでいたのが嘘みたいだ。肌寒いし、まだ雨も降っている。二次林だろうがなんだろうが、緑が多くて、虫の声、カエルの声がする。このあたりは本当にいいところなのだ。それにしても、昨日は妙に村の人たちから電話がきた。村を離れてからちょうど一週間たったからだろうか。毎日村を、自転車で行ったり来たりしながら、根掘り葉掘り聞きまわったかと思えば、田圃に入り込んで田植えに没頭。そんな怪しい外国人の存在が、日常になってきたのに、しばらく顔をみせないので、何事かと思ったようだ。村内に住んでいた時は、私がどこに行っているか、誰もが把握していた。アパチャンの人間関係は広い。今の住まいは、村からあまり離れてないが、ちょうど行政区(パンチャヤート。タルクは同じ)がかわる。家の主人も銀行員なので別のネットワークなのだろう。ただ、教会区は村の1/3ぐらいとダブっているためか、家の人は教会でいやっというほど私がどこに行ってしまったか聞かれたらしい。

今日は、どうも疲れが取れていない。活動もやや縮小気味。それでも夕方は、カラリパヤットの稽古に出る。一週間分の堕落生活がたたったのか、体が動かないし、胃腸の調子が悪いようで、ガス気味だ。がんばって我慢していたけど、まわし蹴りの時など、結構大きな音で出てしまった。ちょうど静かな時なので、誰もが気づいたようだ。一人は笑いだしたが、知らん振りを決め込み、強行突破。このテクニックは万国共通で使える。

話がくだらない方向に来てしまった。これも疲れているせいだろうか。ちょうど、停電になったところで、篤姫の続きを見ることにしよう。

2008年8月26日火曜日

20080826 一人旅の最終日

うかつだった。トゥリシュールからカリカットに向かう列車が時間ぴったりにきたので、飛び乗ったら、その前に来るはずだった列車。

気づいたのは、走りだして15分ほどしてから。結局次の駅から、トンボ帰りして、待合室。カリカット行きは、2時間後しかない。時間通りにくればのはなしだけど。折角、6時前に起きて朝一の列車で帰ろうと思ったのに。村に着くのは、夜になりそうだ。

でもまあ、時間があるのだから、帰ってから何をするか、再びブレインストーミングを始めた。昨日、Alter Media Bookという社会運動系の本屋で見つけた本を昨日一気読みしたので、どうしてもその本に引っ張られてしまう。

Wayanad Misery in Emerald Bowlというタイトルのその本は、ワヤナッド県で2000年から2005年前後に多発した農民の自殺について分析したものである。ジャーナリスティックな論調、、感情が裏付けを飛ばし飛ばししてしまう、あれ、はやや鼻につくものだった。「!」マークも多い。でも、ワヤナッドに絞って書かれた本はほとんど見たことがなかったので、参考になった。得に農業系銀行ローンの借金地獄のこと、(これは何度もうわさでは耳にしていたが、メカニズムがよくわかっていなかった)それから、農業史。いかにワヤナッドの農業が他県と比較して換金作物型になっているか。作者は、アディバシの土地権利運動に加担していたのか、全体的に少数民族よりの論調で、キリスト教の移民はかなり批判していた。うなずけることも多い。村の友人にはキリスト教が多いのだけど、まあ、後から来て置いてそこまで威張りまくるのはどうかと、思うこともある。金持ちもほとんどがこの層である。それから、ワヤナッドの有機農業運動もかなり批判している。土地なし農民には関係のない運動で、金持ちがまた金持ちになるような運動にすぎない、、、と。大雑把ではあるけど、これも、まあそうだろうなぁ、という感じもある。そこまで金持ちではない気もするが、少数民族のアディヤンやパニアスに比べてしまうと、これはもう大金持ちと言ってもよいだろう。かたや掘っ立て小屋に住んでいるのだから。

ところで、今回はなんやかんや一週間も村を離れてしまった。行った先は、4つの都市と2つの大学の図書館。収穫は、、というと2勝4敗というところ。欲しかったものは見つからなかったが、農民自殺の本のようにちょっとは役立つものが見つかったりした。それより、村を離れて、フィールドノートの整理とこれからの計画についてまとまって考える時間があったことの方が収穫かもしれない。ただし、ここぞとばかりに、昼間から飲み過ぎて、そこまでまとまった時間・・・でもなかったか。そして、ホテルで飲むとめちゃくちゃ高い。ビールは、一瓶約300円。ワインは、ボトルだと5000円ぐらい。ちなみに、酒屋でがんばって並んで買うと、ビールは150円、ワインは、2100円ほどだ(それでも、質を考えると高い。ワインはこの値段だったら、もっと美味しいのが飲めてもいいはず)。ワインは一回酒屋で買ったけど、ビールは冷えているのは買えないので結局、ホテルで飲んでしまう。村と違って、低地は暑くて仕方ない。雨も一度も降らなかった。ワヤナッドは、寒くて仕方なかったのに、こっちは毎日30度をこしている。普通に夏である。

でも、こんなことしていると、当初の予算を軽くオーバーしてしまうので、要注意だ。

2008年8月24日日曜日

20080824 エスノグラフィーの技法

大学の図書館からコピーしてきた文献を拾い読みしている。文献を久々に読むというものもいいものだ。

8月中旬までのフィールドノートをまとめたものを指導教官に見せてみた。細かい情報で押したものだが、そろそろフォーカスを決めた方がいいという返答。え?もう?と思ったが、確かにここまでは手当たり次第、というかんじだった。季節ものである農業が相手なので、その時々の作業に埋没していた。上手に農作業ができるように、がんばりすぎたのかも?でも、ここまで、生姜栽培とモンスーン作の田植えは、結構できるようになった。あとまあ、畑の草刈りと牛フンの肥料やり。しかし、このままの調子で、一つひとつマスターしようと思っていると、調査が終わるころ残された道は、農家の嫁。しかもこのケーララ限定で、になってしまいそうだ。すでに、オファーは多い。土地を売ってくれる人も名乗り出てきた・・(これはちょっと魅力的に思ってしまった)

そんなこんなで、昨日は、少しブレインストーミングなどしてみた。1,2か月に一回は何日か集中的に、ノートのまとめ報告を作ることはいいことだ。フィールドノートの量が増えてくると、なんだか調査が進んでいるような気になるが、まとめてみると、あれま、まだこれだけの内容なのか・・・、と反省できる。

ブレインストーミングで出てきたのは、仮想敵と味方たち。仮想敵は、Guptaとエスノサイエンス、IK。仮想味方は、バイオテクノロジーのScoones。科学的かつローカル、市場主義的かつ運動的、社会的慣行かつ農業政策。これらが、どのように農場での活動に入り組んでいるか。グプタの仕事の2000年代バージョンというところか?緑の革命とヴェーダ的伝統知のハイブリッド農業・・これだけではすでに解けない。焦点となる農作業は、「有畜・循環農法の牛、水牛、虫、人」が一つと、「畑作-水田の施肥、栽培作物の分離と融合」が今のところ有力。今後面白い話があれば大いに変えようと思うが。この農作業の部分は、エスノグラフィーにしたい。他は、まあ、あくびなしでは読めない硬い記述にして、急に農民、牛、虫が大騒ぎ!という風にすればどうだろうか。・・・・・大騒ぎもいいけど、気になるのは、またまたマリノフスキーからのヒントだが、村の暮らしの根底にある静かな時間の流れ。自分の興味だけをよいしょ、よいしょと調べ、書いていると、ここがすっぽ抜けてしまう気がしてならない。でも、ここが抜けてしまうと、何もかもが間違いになってしまう気がする。これを文章レベルで表現できるとしたら、小説かエスノグラフィーだろうけど、両方とも筆力が必要だ。ヘルマンヘッセでも読み返した方がいいのだろうか。

2008年8月21日木曜日

20080821 駐在員の愛人

ムンバイ以来、一月ぶりに村を離れ、コーチンまでやってきた。ここからさらに南に2時間ほど下ったコータヤムにある大学に訪れるのが目的である。ここ数日は、一か月の情報をまとめていたため、この日記をさぼってしまった。昨日、コーチンに来る列車でなんとか書き終えたところだ。それにしても、なんやかんや同じ村に入ってから半年以上たつが、どうもまだ表面的な話しか見えていないことを確認する。あと半年・・・どこまで理解が深まるのか?何かやりかたがダメなのか?不安は付きまとう。

それはそうと、昨晩は久々に日本人にあってありえないほど、たらふく食べて、飲んだ。そこで面白かったことは、5月に日本に帰ってしまった日本企業の駐在員がいたのだが、私は、いつの間にやら彼の彼女ということになっていたらしい。ようはこうだ。日本に一時帰国する直前、コーチンの彼のマンションに数日泊まらせてもらったのだ。駐在員の暮らしは、豪華で、住まいも豪華。部屋が余っているから、適当にどうぞ、と。しかも、彼自身も4年の任期を終え帰国するということで、余ったルピー消費のため毎晩豪華な食事をおごってくれた。それを、他の日本人の駐在員たちの目には、「関係」と見たようだ。

海外にいると日本ではありえないことがある。そういう対象になるキャラを全く作っていなかったので、面白かった。しかも、毎晩、村の話、農業の話、野菜の価格、といったことばかり結構熱めに語っていたことを覚えている。でもまぁ、あまり細かいことを気にしない人なので、よかった。場合によっては、ギャグじゃすまないことになる。・・・・ていうか、やっぱりぱっと見、わかるでしょうに、普通に考えれば。

2008年8月17日日曜日

20080817農民の日に

今日は、マラヤーラム暦でいる新しい月、チンガムの一日である。この日は、カルチャカディナム、つまり農民の日とも言われており、カマナの属しているエドヴァガパンチャヤートでもちょっとした催しがあった。催しの場所は、ペーチャムコードというところにある高校。住んでいる家からは、少し不便な所にあるが、折角なのでたずねてみた。

催しは、毎年選ばれるベスト農民賞の授賞式と、パンチャヤート議会の議員たちによる果てしないスピーチである。残念ながら、私の近しい農民は、今年のベスト農民賞には選ばれていなかった。(2007年度は、アパチャンとバーラクリシュナが選ばれていたはずだ)

長々と続く、スピーチに飽きてきたころ、パンチャヤートの代表であるジャスティンに呼ばれた。私もスピーチをしなければならないらしい。一応断るが、農民たちが喜ぶから、、、と言われはなすことになってしまった。外国人は珍しいからしかたない。

それにしても、マイクとは不思議だ。自分の声とは思えないエコーが会場に響き渡ると、緊張が興奮に代わってしまう。結局、一緒に農業が若い人たちにとっても魅力的になるように、みんなでがんばっていきましょう!!と、なかばアジテーションのような感じで終わってしまった。もちろん、農民たちは大喜び。

とにかく、パンチャヤートのおえらい人たちと一気に知り合いになれた。今後の調査もやりやすくなるに違いない。

2008年8月15日金曜日

20080815 独立記念日に

今日は、インド独立記念日ということで、国民の休日である。日本も独立記念を祝うの?と何回も何回も聞かれた。日本は植民地を経験していないから、すなわち独立記念日はない。むしろポツダム宣言を受諾して太平洋戦争が終結した、終戦記念日だということ、を説明するのは案外難しい。インドはおろか、村もほとんど出たことのない多くの村人は、世界はインドの延長戦にあるとみている。(ただし、イギリスは別!)

「自分の地区以外をみることのない原住民の社会的視野の狭さ、ならびに多くの珍奇な慣行や例外は、原住民の社会の最大の特性のひとつである」とマリノフスキーは無邪気に、堂々と書いている。別に日本人でも社会的視野がせまい人は大勢いるから、村人に限ったことではない。むしろ最近では、情報量と反比例して社会的視野が段々狭まっているぐらいではなかろうか。それでもなんでも、毎日のように、このカレーの味付けは日本でもやるか?このお菓子は日本でも作るか?と明らかにケーララでしか作らない食べ物のことを聞かれると、答えるのが面倒くさくなってくる。ケーララだけのお祭りであるオーナムを日本でも祝うか?と聞かれても同じである。

ところが、反対に同じ村人に突然、今日は広島が原爆を○時○分に投下された記念日だね、まだ後遺症が残っている人もいるんでしょ?とか言われれて驚いた。これが100パーセント近い識字率の表れなのだと思う。つまり、他の州ではちょっと考えにくいが、Scheduled Castes でもScheduled Tribesの人でも何でも、みんな新聞を読む。テレビはある家とない家があるが、新聞は誰もが読んでいる。村に初めて住むことになった外国人が日本人なものだから、少しでも日本のことが書いていると、みんな興味を持って読み、私に話してくるのだ。で、マラヤーラムの新聞に載っている日本情報は、極めて断片的であるから、日本はココナッツ入りのカレーとアッパムを食べていて、原爆が投下された国。なんてことになっていたりする。そういえば、去年あたりに日本はどこにあるか聞いたら、本当に誰も知らなかった。日本の知名度なんてそんなものだ。地図を書いて説明したのだが、インドはでかくて、日本は小さい!と喜ばせることになっただけだった。まぁ、そのとおりなのですが。

2008年8月14日木曜日

20080813 二回目の洪水と田植え

ここにきてまた数日終日強い雨が続いていると思ったら、カバニ川はまたしてもあふれていた。これで二度目だ。カマナに続く橋にもあと一メートルほどで水がかぶってしまうほどになっている。そして、ここまで活躍していたモンベルのゴアテックスレインコートには、ひどいカビが生えている。カビは結構くさい。どうしたものかと、同じく下宿しているジサに聞くも、変な香水を振りかけられてしまい、余計めちゃめちゃな悪臭を放ってしまった。とにかく、これでこの雨期をしのがなくてはならない。

そんな雨の中でも、村では田植え作業がいよいよピークを迎えているようだ。ここあたりで使われている稲は、田植えから収穫まで120~160日のものである。そろそろ植えおわらないと、12月の中旬を越してしまい、クリスマス前に稲刈りを終わらせられない。ということで、今日は、午前、午後と別々の田圃で田植え作業に加わった。

今日は、田植えのやり方にブレイクスルーがあったようだ。突然、スピードが上がったのである。指の使い方に加え、腕首の捻り方にもコツがあったようだ。パン、パン、パンと稲をさせるようになってきた。まわりを見ても、もう私がいることで、みんなのリズムが壊れることはなさそうである。田植えも何度めになるだろうか?あまりに単純だが、やはりやればやるだけ上達するということが、また証明された。ただし、その上達は徐々にというより、ある時、ぱっと一段階あがるのが、名前は忘れたが、物理学かなんかの法則にあった。

でも、今度は次の課題が出てしまった。どうも私が田植をする間隔が広すぎるようなのだ。おばちゃんに何度か注意される。親指と人差し指を広げて、この間隔を忘れずに、と。そこで、今度は間隔に注意しながら田植をはじめる。すると、やはりスピードは落ちるし、また、稲がうまくさせてないようで、広がってしまうことがある。差す強さと方向に問題があるのではないだろうか?そう思って、また横の人をみるとなんともきれにささっている。まだまだ、田植え初心者の域を超えていない・・・

2008年8月12日火曜日

20080812

昨日とはうってかわって、そこそこ収穫のある日だった。今朝は、近所に住んでいる元農業省の人にいろいろ話しを聞いた。こんな近くに情報網があるとは・・・そして、彼から聞いた情報をもとに、バスに乗ってKrshi Babhanと呼ばれるパンチャヤートレベルの農業局に足を運ぶ。今年の農業助成金、政策の内容の詳細を聞けた。助成制度は、12項目あってうち5項目が有機農業関連だから驚きである。まだまだ、有機農業に力を入れていることを確認。まあ、これはあくまでも助成レベルの話で現実とは常に格差があるのだろうが。あとは、カマナの有機農民のグループがどの助成制度を利用しているか確認しなければならない。

日、月、火と三日間水田に足を入れていないので、そろそろうずうずしてきていたら、タイミングよく道であった2人のインフォーマントの農民に、明日田植に来るように言われた。一人は、ナヤールの有機農民でもう一人は、キリスト教徒の有機農民。特に、バーラクリシュナナヤールは、私が知っている中で最も知識の豊富な農民だ。そして腰が低い。彼の水田は他の人と違うのか、楽しみだ。キリスト教徒の方のスカリヤは、アパチャンの遠い親戚で、まあ気楽なオヤジだ。よく働き、よく飲む。明日は、午前、午後と別々の農家をまわって田植作業といく。体力がもつかがカギだ。

ということで、今日もまた終日大雨だが、がんばってカラリパヤットの練習に行こう。雨のせいか、マラヤーラム語の先生も来ない。

20080811 酒購入

なんとなく空振りの日だ。今日は、再びバスを何回か乗り換えて農業研究所にいった。でも、研究者たちはなにかと忙しそうであまり有効な話が聞けなかった。こっちがあまり科学的な知識を持っていないも原因だろう。彼らは、自分の専門の話には詳しいが、農民の話とかになるといきなり一般論になる。そういうものだろうか。とにかく、収穫はワヤナッドで使われている稲作の品種リストを入手したことである。それも、81種もあった。私が聞いたことあるのは、せいぜい10種だったので、ちょっと驚く。バナナも20種もあるし・・・

せっかく他の町に行ったものだから、アルコールを入手した。例によって、政府が認可しているBeverageでしかアルコールを買うことはできないので、長い行列ができていた。でも、なぜか私が行くと、列に並んでいる人たちが、前に行け、前に行けと一気に先頭まで横入りさせてくれた。??なぜ外国人女性のアル中には優しいのだろうか?お礼をいいつつ、ブランデーの大きなボトルとポルトーワインのハーフボトルを二本購入。ブランデーは田植えが終わったら飲もう、とクリチャヤスのおっちゃんたちと約束しているのだ。ワインは、本当は普通のワインが欲しかったのだけど、ハーフボトルはなかった。仕方なく、ゴアで生産されているポルトーワインになった(かえってから、さっそく試してみたが、結構いける。ポルトーワインらしく甘いのが少し気になるものの、これはこれで楽しめるものだ)

ということで、家についたらもう4時すぎで、これで一日は終わり。ちょっと収穫が少ない日だ。往復5時間以上もバスに揺られて、酒を買いに行った格好になってしまった。

2008年8月11日月曜日

20080810 笑う門には

調査からは離れるが、タモリの赤塚不二夫への弔辞には涙した。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/08/08/02.html

特にここ、

「あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。」

そうそう、ここに笑いの真髄あるのでは。ブラックな笑いもこれを理解してない人の前で言うと、大変な目にあう。苦手な人やことから逃げる感情もこの姿勢に逆行しているように思う。日本語圏にいないので、日本語を駆使した、ねじれるような笑いを最近楽しんでない。私のマラヤーラム語では、せいぜい下ネタなどの初級笑いにとどまっている。これが海外で暮らすにあたって一番辛い。

とにかく、後ろ向きな思考や、人を遠ざけることでしのぐようなやり方は、しないようしないようこれからも、突破して行こう。

2008年8月9日土曜日

20080809 足マッサージ

昨日、カラリパヤット特有のマッサージをやるからと、カラリパヤットの先生に呼び出された。手ではなく、足でやる全身マッサージだ。

アユルヴェーダのマッサージのようにオイルを使って行うのだが、天井からつるした紐を支えに、裸(一応紐パン?のようなものをつけているが、まあ、見えまくる)の人に足ですみずみまでマッサージしていく。カラリパヤットのグルになるということは、同時に薬草の使い方、マッサージの使い方、メディテーションのやり方まで覚えなければならない。武道と伝統医療、精神世界の実践の体得をもって、カラリパヤットを理解したことになるという。ちなみに、いわゆる武道はその最初の段階であるらしい。


このマッサージは、7日間毎日行ったあと、7日間の完全休養が必要であるという。それが終わると、あらゆる体の痛みがなくなり、筋肉がほぐれ、柔軟性に富んでいくという。特に、このモンスーンの時期は、体調を崩しやすいためマッサージを求めるひとが多い。


さて、ちょうど一時間かかるその過程を、ただただみつめていた。不謹慎にもおしりの毛などを見つめたりしながら。(でも、この患者さんは、ヨガの実践者であるためか、細見でヨギ―なしなやか体型である。腰痛がひどいらしいが)そういえば、去年、生まれて初めてアユルヴェーダのマッサージをしてもらったことがある。これも全身裸でおこなう。肛門にまで、マッサージの手が入ったのには驚いた。(つまり、肛門まで油だらけになる)今回のマッサージはそこまでは、入っていかなかった。でも、足の指で咽喉ぼとけをこすってはいた。いたくないのだろうか?


武道をやり始めてから、どうも体に対する見方がよくわからなくなってしまった。自分の体の動きを意識するようになったからか、いわゆるいいとされている体の構造よりも、筋肉の付き方、動き方、伸び方などを見てしまう。太っていても、驚くぐらい柔軟な動きをする体には魅了される。逆に頭周辺しかつかっていないやせ型の体には、人類史の末期を感じる。


私自身は?というろ、最近また走っているので、ふくらはぎが太くなってきた。太腿筋はまだまだ十分に発達してない。上半身は、使い方が緩いし、脂っぽい食事のためにぷよぷよという有様。農民を見ていると、働いている男性は、かなり引き締まっている。ジムに通っているように見えるほど。でも女性は、手と足以外は太っていることが多い。軽労働で、中座作業が多いからだろう。そして、あまり農作業をしていない人は、とにかくみんな太っている。主婦はとくに家にずーっっといて、ほとんど動かないものだから、お腹がすごい。妊娠中か否か見極められないほどだ。身体も社会的に作られるというのは本当のことだと思う。社会・生態環境的にというほうが正確だろうが。

2008年8月8日金曜日

20080808 仕事のマイクロ・エスノグラフィー:田植えの指先使い

というものを、記述したいとかねてから考えている。二回も書いた修士論文では、人類学の風上にも置けぬほど、大きくて大げさな(つまり具体性にかける)内容のものを書いてしまった。そういう現実離れしたものは、そういうのを専門にしている人たちに任せ、細かいものを書きたいのだけど、これはこれで案外難しい。ひと先ず、自分がやってみないとよく分からないのだけど、自分がやっているときは、記録がしにくい。特に農作業は、手が泥んこ、びしょびしょになるので、ノートを書くことも、写真も撮ることもできない。つまり、記憶に頼ってできるだけすぐ記録していくという作業しかないようなのである。(アシスタントがいればよいのだが、これはこれでまた違うものになってしまうし・・・)

さて、このところ田植えの日々である。村の水田のあちこちで、今が田植の時期だ。今日は、最近通っているコーピの水田から道をはさんだ、チャンドゥの水田に飛び入り参加することにした。同じくクリチャヤスで、稲はすべて自給用、やはり田植は女性の仕事である。違うことは、ここでは、在来種のトンディではなく、HYV種のH4を栽培していること。H4の苗は、トンディに比べ、細長いように感じる。

田植えは、四角い水田の角から対角線上に進んでいく。明らかに他の人よりもスピードが遅い私は、途中で、もっと下方から始めるように言われた。リズムを狂わせてしまっているようだ。で、10メートルほど下方に移動すると、そこではおばあさんがせっせと田植している。彼女も遅いのかと思えば、結構速い。コツを盗もうとちらちら見ていると、おばあさんが指使いを指導してくれた。これがスピードのカギだ、と。要は、左手で苗の束をもち、右手で数本(3,4本か?)の稲を垂直に、およそ3,4センチほど、さしていく。彼女のいう指使いとは、苗をもっている左手の親指使いのことだ。右手で、水田に刺している間に、左手の親指で次の苗数本を、ずらし出し、すばやく右手に渡すというのだ。この親指の感覚―適当な数の稲をリズミカルにずらし出すという-がわかってくると、加速していくようなのだ。しかし、束によっては根の結びつきが強いものがあって、親指だけではなかなかはがれなかったりする。両手を使ってむしり離さなければ。でも、こんなことをしていると当然スピードは遅くなる。

どうやら、苗の束づくりの段階で、上手に根の泥をはがしておくことがここでの作業に結び付いてくるようだ。根の泥は、苗をいくらかむしり取ってから、その根を左足のすねに叩きはじいていく。これを二日間ずっとやっていたため、私の左足のすねには、擦り傷と赤い斑点がついてしまっているのだけど。しかも、ずーっと根をたたいていると、すねが結構痛み出してくる。苗を引き抜くときの右手の中指、中央寄りやや上(ペンダコの少し下あたり)も腫れてくる。こっちは、むしりぬくときに、苗をひっかける場所だからだ。他の人も同じところにタコができていた。どうやら、正しいところを使っていたようで、嬉しかったりもする。とにかく、この指先使いをマスターしないとそれっぽく見えてこないので、もっと、もっと練習が必要だ。

2008年8月6日水曜日

20080806 盗難、そして文学・・

今朝、村に行く途中に郵便局によって、日本から送られてきた荷物を受け取った。が、しかし。開けてみると、シブへのお土産だった腕時計があっさり消えている。時計の箱だけこじ開けられてのこっているという有様だ。段ボールも開けられた跡があり、そのあとをまたガムテープで閉じている。税関かなんかで開けられ、金目のものは、とっていったようだ。そして、村の小さな郵便局で大騒ぎ。結局、苦情の手紙を一通書いて、それでおしまい。これで戻ってくるとは思えないが。

腹が立って、ひとまずアンシーの家に行く。アンシーしかいなかったので、彼女に愚痴りまくった。どうせ、アンシーの旦那であるシブへのギフトなのだから、まあ、愚痴る相手としていいだろう。愚痴って愚痴ったら、お腹がすいたので、コーヒーとウンダと呼ばれるお菓子をもらう。ふうぅう。まぁ、いいか、という気分になってきた。

そこで、今度はAnita Nairの小説の話となった。私は、読書家といえるほど、本を読みまくっているわけではない。でも、音楽、文学、絵画、写真、映像、なぞなぞのメディアの中で、比較的、文学に親しみを感じることもあり、ケーララとかかわるようになってから、ちょろちょろ、マラヤーリ文学に触れている。ただし、英訳のあるものと制約がある。とにかく、Anita Nairはその中でも、お気に入りだ。数日前に読み終えた、Ladies Coupeというのは、45歳の税務署勤めの独身女性が主人公の話である。45歳で、独身となると、ここではかなり生きにくい。彼女は、その中で自分自身とは何か、この世界で女性が一人で生きていくということは、どういうことなのか探し始め、はじめて一人旅に行く。夜行列車のコンパートメントで会った、他の女性たちが一人一人、語る生き方に耳を傾けて、また自分自身の過去にもクロスオーバーさせていく・・・といった内容だ。私も、ぼちぼち30も半ばなので、場合によってはひと事ではない。とにかく、この小説のマラヤーラム語版をアンシーにあげたこともあり、その中に出てくる登場人物について話し合ったのである。

アンシーはすでに、この小説を二度も三度も読み返していた。そして、やはり主人公の生き方、意志に共感を覚えるし、うらやましく思うという。・・・・彼女は、このケーララの中でも田舎のなかの田舎で、教会に行く以外は、家で料理することしかないという生活に、半ば嫌気がさしている。でも、彼女が、孤独という状態を知っているとは思えない。自分の存在が、この世にも、この社会にも、必要でないかもしれない、という疑問が脳裏をよぎることもないだろう。でも、間違いなくそういった虚無感を背負って毎日を送っている人は大勢いる。よっぽど、何かに才能があって社会をうならせられる人でない限り、家族なしで生きることは難しい。とまあ、ここまでは、うまく伝えられなかったわけである。

20080805 ハルタール

ムンバイから帰ってきてから、ずいぶん忙しく、土日も返上で何やら動いていた。そのせいか、昨晩あたりから疲労感が取れていない感覚が出てきている。

今日は、ハルタールと言われるストライキで、ワヤナッド県の交通、店、学校、政府機関など全面的に休みである。ケーララは共産党の影響で本当にハルタールが多い。前回は、7月20日だった。月1日程度と聞いていたが、もっと頻繁にあるように思う。とはいえ、農作業にハルタールも何もないのだが、ちょっと便乗して午前中は休むことにした。連日の立ち仕事に腿を中心に全身筋肉痛ということもあって、今朝は軽めに走り、それから家でマラヤーラム語を勉強したり、今月の予定を立てたりしてみた。そういえば、今回のマラヤーラム語の先生はなかなかやる気があってよいように思う。小学校の先生だからだろう、教え方にも慣れている。

やはり、週に最低一日は休みが必要だ。日曜日に予定が入ってしまったら、代休を取ることにしよう。今日も午後からはまた水田に行こうと思うので、完全休業ではないが、それでも少し頭がすっきりしてきた。あまり、一つの農家にかかりつけにならずに、もっと手広く回る必要がありそうだ。

それから、これまたマリノフスキーを読みながら思ったことだが、農業の周辺のこと、関係ないように思えることをしっかり目持っておくことも重要だ。例えば、農民の中には、農業系の銀行から借金をして首が回らなくなっている人などいるが、彼らは農業にお金をつかうのではなく、娘のダウリーや教育費に使うために借りている。ダウリーは、このあたりでは、キリスト教徒により広く、高額の取引で、実践されている。また、最近は、娘を看護学校に入れることがはやっている。看護師の資格を持っていると、中東やカナダ、イギリスなどで働く機会ができるからである。しかし、看護学校の教育費は決して安くない。特に、海外に送る場合は、向こうでインターンをしなくてはならなく、その間の生活費を送金するのは、大変だ。カーストによって、この状況は変わってくる。パニアスはダウリーを実践していないことを最近聞いた。と、書いたところで、ちょうど家に来ているお手伝いのパール(パニアス)に聞いてみた。やはり、そういうのはないという。男性側が、女性側に、サリーとちょっとしたアクセサリーを買ってあげ、(しかも、金でない、という)おかえしに女性側は、男性にシャツとズボンを買うだけ、と教えてくれた。数百ルピーで済むようだ。クリチャヤスはダウリーを行うという。ダウリーがあるとないのでは、現金の必要度が大違いである。

ということで、そろそろ時間なので、準備して田植の様子を見に行こうかと思う。

2008年8月5日火曜日

20080804 クルチャヤスの境界領域

昨日、今日と田植作業に入る。この作業は実に2週間ほど続くらしい。昨日は終日、今日は午前の4時間ほど作業に加わるが、見た目よりもずいぶん疲れるものである。この作業は、女性しか行わないようで、田植え前の圃場整備は男性、田植えは女性と明確にジェンダー化されている。

さて、昨日の昼食後のことである。ひとあし先に食事を終えた私は、思わず他の女性たちが食事をしていた台所に座り込んでしまった。一緒に農作業をしたりしていたので、なんだか近くになった気がしてしまっていたのだ。そこで、ぴしゃり。コーピの奥さんが私を見つけ、ここにあなたが入ることはできない、と言われてしまった。若い人たちは彼女ほどは気にしていないようだった。少し世代間の違いがあるのだろう。今日、田植え作業中に、プシュパに聞いてみると、台所はもちろん、どの部屋にも入ることはできないし、食事も一緒にできないのが基本であるようだ。クリチャヤスでももっと小さな家に住んでいるようなキーラやオモニの家はそうでもないようだが、この家のように格式にのっとっている大家族の家は厳しい。

それから、生理のことも聞いた。プシュパは、たまたま生理中で、他の人と食事をすること、触ること、水を一緒に使うこと、台所に入るとこ、寺院にお参りに行くことなどが許されない。これは、生理がはじまってから6日間続くと教えてくれた。ついでに、私は、生理中か、と聞かれた。違うし、その時は、この家に来ないようにしようか、と聞くと、そうしてくれ、という。

クリチャヤスの人々との距離の取り方は難しい。親しくしていても、私が触れることはできないし、やや食事も離れてするようになっている。台所に入ってしまったことで、コーピの奥さんに悪い印象を持たれたように感じる。帰り際に、2週間ほど同じ農作業が続くから2週間後に来たらいい、と言われてしまった。さびしい気がしてしまった。でも、日本人的な感覚を持ち込んでも、仕方ないし、そうするべきではないので、少し注意して様子を見ていこう。

2008年8月3日日曜日

20080802 

昨日、今回ここに来てからはじめて星空を見た。夜、8時過ぎ、カラリパヤットの稽古を終えて暗闇を自転車で走っていた。稽古場は村にあるので、今の住まいからは3キロほどある。村は夜になると本当に真っ暗である。街灯はなく、時々懐中電灯を持っている人の明かりが見えるのと、家々からもれる光が見えるぐらいだ。道路が凸凹しているので、自転車をこぐのも一苦労。ヤコブ派の教会をこえて、両側が田圃の道に入ると、カエルの合唱がすごい。小学校のころ習っていた剣道の帰り道と同じような光景、音である(どうも、ここにいると小学校のころを思い出すことが多い。)

昼は静まっているのに、カエルは夜行性なんだなぁ、と思ってふと空を見上げると、満天の星空である。目の前がすぐ北斗七星だった(そして、すぐ北斗の拳のセリフを口に出してしまう自分の想像力のなさが悲しかったりする)。

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星空の翌日は、晴れなのでは?と思っていたが、今日もやはり雨だった。とはいえ、ここ数日に比べるとやや小降りで、川沿いの道が復活していた。

明日は、日曜だが終日田植え作業があるということで、朝8時に呼ばれた。8時から5時まで一日中の作業である。朝10時からは、カラリパヤットの練習があるとも聞いていたが、そっちより田植に行くべきだろう。ということで、明日はジョキングはなし。でも、休日も返上で労働だ。

2008年8月2日土曜日

20080801 牛なしでは有機農業でない

8月に入った。日本は最も暑い時期なのだろうが、こっちは涼しい。夜はむしろ寒いぐらいである。

今日も、例によって朝のジョキングから一日が始まった。昨日は疲れ果てていたので、早めに寝たのに体の動きが鈍かった。まあ、こういうこともあるだろう。そういえば、ヴァリヨーカーブ寺院の近くを通ったとき、川に向かって上半身裸の男性の列ができていた。折り返すときにちょっと立ち止まって眺めてみると、男性が10人ほど川に入って、プージャをしている。ひどく寒そうで、みんな震えている。大雨で、肌さむい中(たぶん気温は、16,7度だろう)ピットラプージャというものをしているらしい。あまり泊まっているとこっちも寒くなってきて、風邪を引きそうなので適当なところで戻ってきた。

今日は、9時頃家を出て、農業大学付属の研究所を訪ねることにした。今週は、農業相談所、農民運動団体、農業研究所と村以外の機関を少しまわっている。情報や技術、助成のチャンネルをもう少し把握したいと思っているのだが、結構複雑で難しい。よく農民は、混乱せずにいろいろな団体を横断して、情報を集めたりできるものだ。村に入ってくる情報、モノの通路と窓口・・・これを把握するにもひと手間かかりそうだ。

ところで、農業大学付属研究所の人には、あっさり、「農業大学は有機農業に興味ない」と言われてしまった。有機農法と化学農薬のコンビネーションには興味があるものの、化学農薬を否定するのは非現実的だという。そこで面白かったのが、有機農業には牛を数頭飼っていなくてはならなくて、それが小規模農民には非現実的だというのだ。有畜、それも有牛農業でないと有機農業は成立しない、というのは、軽いブレイクスルーだ。いうまでもなく、日本ではせいぜい鶏ぐらいは飼っていても、有畜の有機農家は少ない。前から少し気になっていたが、多くの人の頭の中に「牛フン(chanakam)=有機肥料(Jaiva vallam)=有機農業(Jaiva Krshi)」という図式が暗黙のうちにあるようなのだ。ふむふむ。やっぱり、牛はこれからも中心的なアクターとして登場しそうである。

2008年8月1日金曜日

20080731 新しい住みかについて

火曜日から越してきて、たぶん来年の二月までいることになる家について少し書く。まだ3日目なので、なかなか勝手がつかめていない感じだ。

今まで、農民の家→農民の家→退役軍人の家と移ってきた。そして今の家は銀行マン。といっても、特に金持ちというほどでもなく、まあ、中間層だろうか。二階はホームスティ宿として旅行者に貸し出していて、一階で家族と下宿中の私ともう一人の女性が住んでいる。そういえば、昨日は早速警察がどこからか、私がここに住んでいることを聞きつけて調べにやってきた。このところの一連のテロ活動に対して、警察当局はかなり神経質のようだ。もし前の家にいるときに来ていたら、やばかったかもしれない。こんなふうに、すぐ調査が入ってしまうのならば、村人が外国人を泊めたがらなくなったのも仕方ないと思える。しかも、どうも座りこんで同じ話を何度も何度も聞いてくると思えば、結局いくらかお金をもらえることを目論んでいたようだ。この家の主人であるロナパンは、いくらか渡したようだ……。どうも、すみにくくなってきた。こういうことに、ロナパンは慣れているようで、さっさと対応する。が、そのロナパン自身も、銀行マンだからだろう、お金にケチくさい。いちいちこれは、何ルピーかかるから、とか、新聞を読むために電気をつけていたら、消してきたりする。まあ、銀行マンといっても、あまり高い地位ではないらしい(受付のようだ。しかも政府の銀行。年金は期待できるが、月給は安いのだろう)。一日100ルピーで食事込みなので、こちら側も贅沢を言える身分ではないから仕方ない。

ロナパン以外の家族には、その奥さんと娘さんがいる。奥さんは、普通の太めの主婦。家事以外は、テレビを見たり昼寝をして過ごしている。17歳の娘さんは、両親と似ていず、かなりの美人だ(加えてスタイルもいいが、、驚くほど毛深い・・・。でも感じはいいし、非常によく家の手伝いをする。勉強もできるようだ)。来月から、タミルナドゥの大学に行ってしまう。そして、私以外の下宿人である24歳の女性は、WSSSで仕事をしている、体の大きな女性。背も高く、かなりがっしりしているので、老けて見えるが、行動をみていると結構こどもっぽい。今、ケンブリッジで働くビザの手配をしているようだから、うまくいけば来月には出て行ってしまう。

ここの家の食事は、やや辛め。朝、昼、晩の三食と、APPの家の五食とは大違い。また農民の生活とは違って、食事時間がまちまちだ。夜も遅く、朝も遅い。6時といったらAPPの家ではもうみんな活動しているが、ここでは私しか起きていない。

というところだろうか。町から一キロ程度、村までは、3キロ強。交通の便は格段とよくなったけど、少し村の生活から感覚が離れた気もする。通い調査になってしまった。今から思えば最初の4か月間、村にべったりできて本当によかった。最初から通いだと、村人たちとの仲良くなり方が全然違っただろう。