
2009年9月29日火曜日
調子がわるい

2009年8月20日木曜日
20090820 スリ
こっちに来てから初めてスリというものにあった。住まいから30キロほど離れたプルペリーという町での聞き取り調査に行く途中のバスで携帯を盗まれたのだ。ちょうど、通学ラッシュに重なり、うちから一番近いバス停から高校のあるバス停まで恐ろしく混雑していた。高校をすぎると今度は、いきなりがらり、としたので席に座る。ふっと、あ、携帯どこだ?と思っていつも入れているリュックの横ポケットに手を入れるがない。あいこち探してもない。あの混雑のなか、がきんちょに盗られたのだ!幸い、30ルピーぐらいしかチャージは入れていなかったが、むかついてきた。警察に届けようかとも思ったが、どうせ散々待たされた揚句、盗難届一枚を作ってくれるだけで、余計腹が立ちそうなのでやめた。ケーララに慣れ過ぎたせいで、気を抜いていた。知らない人が多いところに行く時は注意しなくてはならない。
盗難に腹を立てているさ中、調査自体はなぜか順調に進んでいる。2005年からこの村に入りはじめて、4年。これまでは、基礎調査のあとは暮らしの中からヒントやら疑問を見つけては、聞きまわる、といった行き当たりばったり調査だった。(調査というより、なんでもかんでも、これどーして?これなーに?と聞く、5歳ぐらいの子供)はっきり言って、それが研究とどう関係あるのか、ほとんど分からなかった。というより、関係ないと思うほどに、案外夢中になって聞きまわった。(ピークは、初潮の儀礼か?あれはほんと見せてもらってよかった。)
で、今回は、聞く事項を箇条書きにして、それをできるところから潰していくというやり方。聞くことが決まっているから、要は、誰に聞けばいいかさえわかればいい感じだ。12項目ほど用意したが、半分ぐらいはもう潰せたか、足がかりがつかめた感じだ。今のところ、今回は無理っぽいのは一項目だろうか。昨日は、パンチャヤートの作物別収量のデータ(10年間が欲しかったが、3年間しかなかった)とINFAMの有機農業市場の動向などを探れた。昨日は、1990年代後半の農民危機の社会史についての聞き取り(←これは4章の中心的な話題になるから、ラッキー!)が取れた。とまあ、順調だが、暮らしから離れているので、つまらないといったらつまらない。どっぷりつかるという調査は、博論を終えたらもうできないのだろうか?でも、それじゃあ、退屈だろうから、今回はこんな感じで一区切りつけて、次にむけて浸かり型の調査テーマを探そう。
2009年8月14日金曜日
20090814
今日は、意外にも作業がはかどった。昨日はほぼ棒に振ったのでプラマイゼロというところか。
営農調査の一回目が終わったので、土地利用(作付)の調査を始めた。ここに来て初めて天気の良い日だったので、久々にGPSを持参して村を歩き回る。全部を把握するのは無理なので、単一栽培のところを中心に地図に記録していくことにした。天気が良ければ、あと4、5日というところだろうか。入り組んだ小道もいろいろ入ればもっと時間がかかるだろう。
歩きながら、アッパイアン、アモニ、アパチャンの家にも立ち寄る。アモニは体の調子が悪いということなので、お見舞いに行ってみた。どうもデング熱らしい。関節がはれ上がり、歩くこともままならないので寝たきりという。日雇いにも行けずお金もない、と訴えるのでまあ、200ルピーほど置き、魚カレーでも食べるように伝えた。
今週も、なんというか、進んだのか進んでいないのかよく分からない感じでとにかく過ぎた。食べ過ぎのせいか、太ってきた感じもする。ズボンがきつくなってきた。まあ、一か月だから2,3キロは仕方ない。
2009年8月12日水曜日
20090812 息子が自殺して
昨日は、2人のSocial Worker、アニルとアンムンマと一緒に家族に自殺者が出て、経済的、社会的、心理的に困窮している家を訪ねた。1990年代後半の農業危機の社会史の聞き取りのためである。ところが、どうも意思疎通(最初に、アンムンマ、次にWSSSの神父→カルパッタで自殺被害者救済の仕事をするE.J.ジョス→バッテリーで同じ仕事をしているアニルと人づてにぐるぐるまわった)でずれたようで(連想ゲーム的に)、尋ねた家は結局、農業危機とはほとんど関係がなかった。
ま、それでも、こういうことはよくあるので、一先ず実行。最初に訪ねた家は、26になる長男が自殺した家。理由は、好きな娘ができて、結婚交渉に及んだが、彼の家は、彼女の家よりも貧しく交渉は決別。結婚できないことを知った娘はそれを苦に自殺してしまう。さらに、その事実に耐えられなかった長男も後追い自殺、ということであった。稼ぎ頭の息子が死に、歳老いた両親は、収入源をなくしてしまったので、WSSSが支援しているのである。もうめっきり恋愛に対しての制度的制約がなくなった(ただし、「婚活」なんて言葉があおる流行的な制度は立ち現れている)日本には見られない、すごい熱愛だ。シェイクスピアのケーララ農村版。
次の家は、もうすこし農業と関係があって、借金で首が回らなくなってこれまた長男が自殺した家である。病気がちな両親に医療費の出費が重なり、銀行へ借金、その返済のため高利貸しに借金などを重ねたという。両親は、80をこえており、途方に暮れている様子である。
両方の家族とも、話しながら取り乱し、泣きながら語ってくれた。当事者にとっては繊細なことなので、聞き取りはなかなか難しい。どういう風にとらえればいいのか、まだ練れていないが、穏やかに見える農村においても、意外と自殺者は多いものである
2009年8月8日土曜日
20090808 心象風景
子供のころからたびたび引っ越しを重ねたため、生まれ育った場所というものを持っていない。そんなものだから、子供のころの思い出は、ひと、出来事、場所がスナップショット的にはいっている。夢では、頻繁にそういった場所と人、出来事がごちゃまぜになって表れるから、さらに混乱するものである。でもいつもの間にか、移動型の生活になれてしまっているので、逆に定住することが億劫になっているのも事実である。(だいたい、今まで同じ家に、2年以上すんだことがないのではないか?多分、小学校ぐらいまではあるのだろうけど、中学校以来ないかもしれん・・。ソウルもきっかり二年だし、京都の町屋も二年。)
それなのに、どうも矛盾したもので、いつも戻る風景というものを欲しがりもしている。両親が研究者であるため、私と同じような移動型の生活をしているインド人の友人は、帰る場所欲しさに結婚する、といって数年前に結婚した。でも、やはりいまだ研究者の旦那さんと一緒に住むことはできていない。
自分の境遇がこんななのに、今朝がた「日本の里山がそうであるように、この地域の家庭畑は、ここに暮らす人々、離れてしまった人々にとって心象風景と重なっている~」(だから、単純に経済的な理由とか、生態系の均衡なんている「現金」な理由だけではなく、畑、農村の景観は大事なんだと続く)なんているくだりを博士論文なんていうけちなモノに書いているとき、ちょっと変な気がした。
で、そのあと、雨の隙間を狙って、また外に出て一時間ほど歩き、村でもやや奥にある友達の家に遊びに行った。土曜日はゆっくりしようかと思っていたのだけど、電話で呼び出しがあってしまったのである。(用事があるわけではない)この村を歩き回るようになってから、4年。川をわたり、田圃を越え、うっそうとした木々の中・・・それらは日本でつまらない人とあって、つまらない時間を過ごしているとなぞにトリップする風景となってきた。今日もまた、レヌグやシャイマが、なんとかして私がこれらか一生ここで暮らしていけないか、方法をねっている。彼女たちの住む家は先祖からの土地だからだめだけど、少し先の土地だったら、1エーカーぐらいなら用立てできるのでは、ないかなどと。このところ、尋ねるたびに、レヌグは、泣きながら私がずっとここに居座るように、行ってくる。私が日本でぶらぶらしていた時、驚くほどつらい時間を過ごしていたというのだ。あんなまっすぐな目で言われると戸惑ってしまう。なぜ、そういう風に思うのだろう?前回の調査期間中、かなりの時間をこの家で、土木工事やら農作業やらをやって過ごしたのは事実である。でも、とうてい想像もできない遠い国からきた、違うジャーティの人。私は、彼女に触れることも、家の中に入ることもできないのだし。日本に帰ったら、毎日酒を飲んで(これはここでも同じ)、変な屁理屈を並べた文章を書いたり、物欲に翻弄されたり、のりぴーの行く末を心配したり(ていうか、押尾学といい、のりぴーといい、どうしたんだあああ?!)そうやって、バカげだ感じで一生を終えていくのに。
どうも、酔いがすすみ、何を書きたいのか分からなくなってきたから、この辺でやめようかと思う。とにもかくにも、心象風景。これは大事だ。またケーララ文学にでも没頭しようかな。
2009年8月6日木曜日
20090806 一週間が過ぎ
一週間が過ぎた。思ったより、生産的に調査が進んでいるような気もする。(昨日はほとんど棒に振ったが)
今朝は、来週の聞き取りのアポ取りをしたあと、例によって営農調査に出向く。今日は、ナヤールが多い地区をまわることにした。キリスト教徒の多い地区とは違って、古い家や稲作農家が多い。有機農業の波はこのあたりには全く来ていない。今日訪ねた4件は、4件とも最近数年の農業に対してはネガティブだった。多くは農業収入が半減しているようだ。またこっちの方にも、パンチャヤートが雇用した日雇い農民のグループがやってきていた。この件に関しては、近々農業局に行って状況を確認してこようと思う。
意外とさくさくと聞き取りが終わったので、1時過ぎに家に戻ってきた。これまでのところを整理しようと思い立ったのであるが、これが大正解。午後からは大雨に見舞われて歩き回れる感じではなかった。大雨になると(温度も下がってきて)なぜか眠くなったので、こっちにきてから初めての午睡を楽しんだ。今日は、ケーララ中の銀行はストライキのようで、ロナパンも家にいる。チェチもロナパンも午睡。なんとものんびりした感じだ。
まだわからないけど、この調子でいくと案外早く調査が済んでしまうかもしれない。そうしたら、また農作業手伝ったり、論文でも書きすすめようかと思う。
2009年8月5日水曜日
20090805 博打農業
昨日は、4件、農家をまわった。有機農家が3件でそうでない農家が一件。ここまでの感触として、今期はどこも収入が落ち気味。例によってまた胡椒の病気がでているせいもあるし、価格が安定しないこともある。一件だけ調子がいいのは、一度有機をはじめて、すぐやめたクリアンの家。昨日話したら、カルナータカに400エーカーの土地を借りて、生姜のモノカルチャーをはじめているらしい。400エーカー!!!ちょっと体感としてぱっとでてこない大きさである。10エーカーの農地を2人で草刈りするのに1カ月かかった。その40倍か・・・
生姜はあたると大きい博打農業。カマナでも成功者と大失敗者がいて、失敗するとそれはもう借金地獄に陥る。クリアンの家はいまのところなかなか調子がいいようだけど、この先はよくわからない。思わず、やばいんじゃないの?怖くない?と聞いたが、ヘンッという鼻息でかえされてしまった。調子がいい賭博者に何をいっても通じない。
個人的に、小さいところでちまちまいろんな作物を作っている農業が好きである。人間の身の丈にあっている気がするし、いろんなものを作っていると、いろんな虫とか動物たちがいる。他の農家のおっさんとの話で、ヒルについて語ったが、ヒルにもいろいろあって人間には危害を加えないのもあるらしい。ココナッツの汁だけ吸うというのだが本当だろうか?
ところで、今回の村でのメインの調査は、ここ10年の営農状況の聞き取りと作付体系の変化である。有機農家と非有機農家を10件ずつきいて、傾向を読み取るのが目的で、10年前と今はどうだ、どのような傾向がある?と聞いてまわっている。おもしろかったのは、少数民族の友人であるレヌグの答え。博打農家のクリアンをぬかした農家はどれも、収入が落ち気味というネガティブな答えであるのだが、彼女は堂々と最近はかなり最高。農業の調子はウナギ登りよ、という。昨年、彼女の家で、農作業を手伝いながらの感覚ではどうも現金につながるような収量は出ていなかったと思ったのだが・・・。よく聞いてみると、い~い米ができたというのだ。誇らしげに言う。やっぱり、クリチャヤスの人々はこうでなくては。い~い米ができたら、そりゃあ調子がいい。い~い農業イコール現金収入とチャンネリングしてないところが、救われるものだ。